シャモニクラブ 山行記録

インスボン―韓国―(例会山行)

2011年6月3日〜6日 参加者 山川・冨田・笹川・横倉 【報告者】横倉 眞

今回、インスボンでクライミングは、冨田の提案により、本年度、クラブの「例会山行」として計画された。昨年経験のある冨田を除けば他のクラブ員にとって、インスボンでのクライミングは未体験であった。

「東洋のヨセミテ」とも称されるインスボン山行は、日本から半日余りで訪れることが出来る利便性も相まって魅力的な計画であり、日程的に都合の付く四名が参加した。 今回の山行では、冨田が6〜7mフォールすると言うアクシデントがあったが、大事には至らず、無事に計画を終了した。

三名にとって初めての「インスボン」は、クライミングに関してはもとより、韓国の人々と直に接する機会を得、多くのこと学ぶ、思い出深い山行となった。以下に今回の山行内容に韓国での雑感を交えて報告する。

6月3日

午後、山川・冨田・笹川が、2日早く韓国入りしていた横倉と忠武路のホテルで合流、インスボンへ向かう。登山口のトソンサまでは、地下鉄・バス・タクシーの乗り継いで行くのだが、地下鉄を降りたところでウイドンへ行くバス停が見つからない。探しあぐねていると、中年の韓国婦人が、親切にも私たちをバス停まで案内し、見送ってくれた。

トソンサから白雲山荘までは徒歩で一時間程である。その途中、インスボンを初めて目の当たりにする。ドーム状の花崗岩、小規模とは言えまさに東洋のハーフドムを彷彿させ、初見参者を圧倒する迫力である。

山荘到着後、冨田の案内で「下部スラブ」での足慣らしに向かう。インスB1ピッチ目5.7、スラブの傾斜は緩く、小川山ガマスラブの初心者向け程度である。だがビレーポイントまで少なく見積っても40mはあるルートにピンは殆ど見当たらない。途中のクラックにカムをセットしても、スリップすれば、最低10m以上は転げ落ちる事を覚悟しなければならないだろう。インスボンでクライミングするとはどういうことなのかを思い知らされる。結局、足慣らしと言うこともあり、もっと易しいスラブに転進する。

それにしても、緯度の関係で日暮れが東京より2時間位遅い。山荘に戻り、マッカリを飲みつつ食事を摂る。

6月4日

今日はシュイナードBに行くことは決めていたが、昨夜半からの雨が早朝まで降り続くが、幸い昼近くになり薄日も差してきたので、出かけることにする。
取付きに着くと、既に各ルートに登攀中のパーティーが見えるが、シュイナードBは誰も取付いていない。その理由を、我々は後で、身をもって思い知ることになる。

1ピッチ目、笹川リード。左のクラック沿いはカムがセットでき登りやすいのだろうが、今朝方までの雨でぐっしょり濡れ、滴すらしたたっている。スラブにルートを採るが、ランニングが全くとれない。少しかぶり気味の所を乗越そうと試みるが、恐怖感に勝てず敗退。

結局冨田がずぶ濡れ状態のクラック沿いをレイバックのようにして登る、まるで沢登り状態である。フォローするだけの自分にとっても、袖口はびしょびしょ、スリップしまいと腕に力が入り過ぎパンプしてくる始末。冨田の精神的強さに改めて脱帽する。

2ピッチ目、アンダークリングからクラック。昨年、冨田がリードしていた写真のピッチである。山川は御年71歳、笹川か横倉がリードすべき所だが、笹川は余りのピンのプアーさに、横倉は10年余りのブランクのためすっかり戦意喪失状態。結局冨田がリードする。

アンダークリンクの指が掛かる箇所を慎重に探りながらトラバースするが、足は完全なスラブのスメアリングである。心無し動きが少しぎこちなく見えた冨田が、クラックに入ってまもなく6〜7mフォールする。幸い自力でビレーポイントまで戻るが、元々痛めていた足を、さらに痛めてしまい、クライミングの継続を中止する。冨田は昨年同ルートの経験もあり、また今回の提案者でもあったことから、我々としては、冨田に多くの負担を背負わせてしまった。大きな事故に至らなかったことがせめてもの幸いである。

山荘への帰路、ショートルートに食指が動いた笹川がコドゥーテオナギ(11a)?に取り付く。が、どうもルート取りが違うようだ。そこへ韓国のクライマー数人が現れ、コリアンにボディランゲイジを交えルート取りを説明してくれるが、共通の言語が無いため理解できない。結局、一人が登り、私たちのためにトップロープまでセットしてくれた。お陰で8m程しかないが、多彩なムーブを必要とするルートを楽しむことが出来た。

山荘に到着するとご主人の李さんが、再会した冨田を心から歓待、私たちもマッコリを飲みつつ、李さんの素晴らしいお人柄に触れる機会を得た。

6月5日

冨田は負傷のため断念せざるを得なかったが、翌日は予定通りインスボンリッジとし、李さんを通じ、ガイドを依頼してもらった。

出来ればガイドなしで登攀するのがベストであるが、結果的にガイドを依頼したことが正解であった。地理不案内の我々にとってガイドなしでは、リッジ登攀はおろか取り付きに着くことさえ困難であったかと思われる。

翌日、朝食を済ませると、ガイドの李さんに紹介される。山荘に到着したばかりの李さんは汗でびっしょりで、大柄ながら、柔和で控えめな方という好印象を受けた。

冨田・李さんの見送りを受け、早速、山川・笹川・横倉の三人でガイドの李さんに従って出発をする。

山荘から登山道を半分ほど下ったキャンプ場からインスリッジへのアプローチに入る。アプローチは、微かな足跡程度で、しかも落ち葉に埋もれ判然としない。シーズン始めの小川山という感じである。しかも樹林帯を行くため、周囲の風景から判断することも出来ず、ガイドなしでは迷う事請け合いである。現に李さん自身も途を見極めるのに難渋をしていた。李さんは晩秋から早春にかけ以外はインスリッジを登った経験がないとのことで、恐縮されることしきりであった。

思っていた以上に遠いアプローチに一汗かく頃、ようやく取付きのバンドに達する。が、そこはうっすらと土の積もった上にスギゴケのようなもので覆われているだけの幅10cmのもので、バンドと言うには余りにも頼り無い。

1ピッチ目を、李さんがアプローチシューズのまま登り始める。彼は5.9のクラックを登るピッチ以外は、結局アプローチシューズのままで通してしまった。いくらファイブテンの靴とはいえ、我々にはまね出来ない芸当である。多分彼にとってこのリッジは、我々が一の倉のテールリッジを登るようなものなのだろう。

1ピッチ目はスラブ・クラック・スラブと続くが、上部スラブは泥と苔が半分を覆い、次いで簡単なスラブを過ぎると歩きになる。思い描いていたインスリッジとは異なり、何とも興ざめする。しかし、4ピッチ辺りから眺望も開け、リッジ登攀らしくなる。

5ピッチ目は変則的なクライミングになる。フォロワーも4m程懸垂し、向かいの壁に移るのだが、ギャップが深く切れ込んでいるため、アンカーからセルフビレイを取った後、ラッペルを解除すると言う手順を踏まなければならない。山川が少し降り過ぎてしまったため、セルフビレイを取るのにしばし悪戦苦闘する。李さんのガイドがなければ、この部分を通過する方法を見出すことが出来たであろうか。恐らく不可能であったと思われる。

このピッチを終わり、8m程ラッペルで、テント1張り位は張れる平坦な広場に降り立つ。ここで初めての休憩を取る。

次は、5.9の綺麗な斜状クラックを登る6ピッチ目となる。さすがの李さんも、ここはクライミングシューズに履き替える。クラックが苦手な横倉は、抜けの一歩手前でワンテンション入ってしまう。逆に、クラックの好きな笹川は実に楽しそうに登ってくる。続くピッチはクラック・フェイスの快適な登りとなる。

この辺りまで来ると眺望も開け、眼下にはマドル平野と市街を俯瞰、谷を隔てたスムビョッリッジには、間断なく登攀する人達が見える。リッジの終了点でもある白雲台山頂は、ハイカーも含め大賑わいである。登攀中、僅か2パーティーにしか遇わなかったインスリッジとは好対照である。静寂と素晴らしい眺望の中でインスリッジ登攀の素晴らしさを実感する。

終了点も間近と思われた頃、李さんが、ルートファインディグに迷う。最終的には、下降用のピントと思われるアングルハーケンにタイオフされたテープをA0にし、体を振り込み隠れたホールドを取りに行くのだが、足下はすっぱりと切れ落ちている。もしもガイド無しであったら、こんな解決方法を考えつかず、途方に暮れていたのではないだろうか。改めて李さんに感謝である。

後はインス頂上までは簡単なスラブなのだが、ロープ無しではやはり不安であった。山頂は、各ルートを登攀してきたクライマー30人程で混んでいた。まるでゲレンデの賑わいである。

山頂は決して平坦ではないのだが、韓国人クライマーはセルフビレイを取るどころか、アプローチシューズで歩き回っている。この大胆さには気圧される。国情の違い?軍隊経験?はたまたキムチパワーか?いずれにせよこの恐るべき勇敢さと大胆さが無ければ、100m近いインスボン下部スラブを、殆どノーピン状態で登る恐怖感を克服することは出来ないのであろうか。日本に帰ったら、メンタル面での強化トレーニングをしなければ、と思うことしきりであった。

李さんと共に記念写真を撮った後、西面をラッペルする。下降用ピンは3カ所あるのだが、混雑を避け大ハングを空中懸垂する。山荘に着くと、帰りの遅い我々を案じていた冨田が出迎えてくれた。足を再び痛めてしまった冨田にとって下山は辛いものとなったが、李さんが親切にも我々をホテルまで送ってことになった。

韓国滞在中は、ガイドの李さん、山荘のご主人の李さんを始め、多くの方の親切に接する機会を得た。韓国と日本は近くて遠い国であったが、民間レベルでは隣人としてその距離はかつてとは比べようもないほど近くなったとの印象を受けた。改めてお世話になった韓国の方々に感謝したい。ホテルで一泊後、翌日一日を観光等に当て、夕刻機上の人となった。

コメント:【山川 三千雄】

東洋のヨセミテ、韓国随一の難峰といった程度の知識しかなく、老骨の私に登れるルートはあるのだろうかとの不安もあったが、皆が行こうという機運に乗らないと行くチャンスがないと思い参加した。前々週に小川山でトレーニングした効果もあってか、案じたより身体が快調に動き、楽しく充実したクライミング行となった。ただ、長いこと本チャンクライミングをしていなかったので、手順など失念したこともあって、仲間に余計な心配をかけ反省している。羽田空港利用で非常に近く、現地の物価安で費用もあまりかからず、気軽に再訪したいと思っている。

【笹川  健志】

ガイドの先輩達に素晴らしいと聞いて居たため是非一度は行っておきたいと思っていた山だったが、なるほどクライミング三昧の面白い山行となった。苦手のスラブが多く支点の感覚が広いため精神的に辛かったが、国内の花崗岩のスラブでトレーニングをして再挑戦したい。

【横倉   眞】

還暦を過ぎ、10数年振りにクラブに復帰した初心者同然の自分にとって、今回の山行は多くの教訓を得るものとなった。とりわけインスボンではクライミングの技術以上にメンタル面での強靱さが必要とされると言うこと。恐怖感を克服するためには、11台のルートを懐かしむよりも5.10a〜b位のスラブルートを、何の不安もなくこなせるまで登り込むしかない。またクラックを登るルートが多いことから5.10a〜b台のクラックもギアの選択も含め、しっかり登り込む必要があるということである。
インスボンは日本から近くて素晴らしい所である。同じ花崗岩質の小川山等でしっかりトレーニングをし、リベンジしたいと思う。


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