シャモニクラブ 山行記録

槍ヶ岳

日時:2016年4月29日(金)〜5月2日(月)

参加者:小野(L)、冨田、藤波、長嶌

29日(金) 晴 
松本BT10:15〜12:00上高地12:20〜15:00横尾15:30〜一ノ俣16:30〜17:15槍沢ロッジ(泊)

30日(土) 晴、午後暴風雪、翌日まで激しい風雪。
槍沢ロッジ6:35〜大曲8:20〜槍沢キャンプ地〜殺生ヒュッテ11:00〜11:35槍ヶ岳山荘(泊風雪激しく登頂断念、チェックイン。

1日(日)暴風雪やまず午前中停滞。
槍ヶ岳山荘11:40〜大曲〜槍沢キャンプ地〜槍沢ロッジ〜一ノ俣〜16:20横尾山荘(泊)

2日(月)晴 
横尾山荘7:30〜10:10上高地BS10:40〜11:45新島々12:07〜12:36松本13:47(あずさ20号)〜16:34(新宿)


29日(金) 晴
 スーパーあずさ1号で松本駅着、改札口で4人がそろい、バスターミナルから直行バスで上高地へ。雪が少ないことは事前にわかっていたが、ほとんど欠片さえ残っていないほどに雪が少ない。横尾へ至る道すがら、早くもニリンソウやそのほかの草花が開花している。梓川沿いの化粧柳や落葉松の芽吹きも早い。また雪解けの水を集めて梓川の流れも多く早い。例によってサルの一団が食事中。登山者の数はさほど多くないようだ。  槍ヶ岳の頂上には何度もたっているが、5月は北鎌尾根3度、東鎌尾根1度、飛騨沢・飛騨乗越経由1度、で槍沢経由で登るのは20年以上前のGWと夏に登って以来だ。 上高地を12時過ぎに出て、槍沢ロッジには5時15分に到着。お風呂もあるようだが、夕食が5時40分とのことで、風呂はやめて4人そろって夕食へ。 。

4/29 12:08 上高地バスターミナル13:37 徳澤への道(冨田、小野、藤波)

13:54 明神岳と前穂高14:06 徳澤園

15:20 横尾山荘前17:33 槍沢ロッジ

30日(土) 晴、午後暴風雪、翌日まで激しい風雪。
 朝食のあと、6時35分にロッジを後に、槍沢の登りのスタート。 いくつかのデブリを越えて、赤沢岩小屋を経て、槍沢キャンプ地にて、アイゼンを装着。 ここからひたすら槍沢の雪渓上りだ。数メートルごとに立てられた旗竿をたどって、大曲を大きく左に回り込んでひたすら上る。右側に少しずつ槍の穂先が見えてきて、槍の肩には11時半頃についたが、この少し前から雲が急激に張り出してきて、風が唸るほどの強さになってきていた。
 先行した藤波と私はいったん、山荘にチェックインして、少し遅れていた冨田、長嶌をまって、頂上を目指そうとしたが、すでに低気圧の影響で、猛烈な風になって、立ち止まれないほどになっており、今日の登頂は断念した。
これから夜半、明け方になっても猛烈な風がやまず、むしろ強くなった。
 夕食を済ませたころ、立て続けに嵐の中をふらふらになって、意識もうろうとなった登山者がサポートを受けて小屋に到着した。この晩は北アルプス各地で遭難があった模様で春山の天候急変のリスクの大きさを改めて実感した。

4/30 7:58 大曲、右へ直上すると水俣乗越8:47 小休止(冨田、小野、藤波)

9:50 槍の穂先が見えてきた。これからが長い10:10 長嶌

10:48 槍の穂先と登山者の行列10:58 槍沢上部 冨田

11:54 槍ヶ岳山荘前から常念岳同、槍ヶ岳、取付いた登山者の列が見える

1日(日)激しい風雪やまず。
 朝食のあと、多くの登山者が下山を試みたが、すぐに引き返してきた。山荘の玄関のドアは猛烈な風雪で閉まらなくなり、内側の引き戸は風でガタガタと鳴りどおし。視界はほとんどない状態。これでは登頂どころか下山も危ぶまれる状況である。しばらく状況の好転を期待してお昼頃までに下山か停滞か決めることにして待機することにした。他の大勢の足止めされている登山客が談話室や客室(連泊を決めた人たち)に。
 少し早めに軽く昼食をとり、4人の思いが一致して、下山を決意。5m間隔で立てられた旗竿を見つけるのが大変な司会の悪さと強風の中、肩の直下の傾斜のきつい地帯を4人で固まって通過し、殺生ヒュッテをすぎたあたりからやや傾斜がゆるんで、心なしか風も弱まってきたようだ。
 この悪天候のなか、数組(中には単独行も)槍沢を登ってきていた。いかに1500mと3000mの気象条件が違うかを実感した。大曲を過ぎるとほとんど問題なく歩けるようになった。 藤波と私は槍沢キャンプ地で、防寒着、防寒ズボンを脱ぎ、アイゼンを外し、ピッケルをストックに持ち替えて横尾を目指す。冨田、長嶌は槍沢ロッジにデポした装備を引き取るなど少し遅れるので、藤波と私は先行し、4時20分の横尾山荘に到着。チェックイン後に風呂(石鹸、シャンプーはなし)で3日間の汗を流した。
 スマホは当初電波が圏外となっていたが、これは悪天候のためと分かった。下山を開始するしばらく前から電波が入るようになり、昨夜の各地の山岳遭難のニュースを知った多くの知人からメッセージが入っていて驚き。それにしても悪天候のときに電話ができないというのは困るなぁ。

5/1 7:46 山荘の凍った窓から(ホワイトアウト)
9:25 天気予報 風速が猛烈17:21 横尾山荘

2日(月)晴れ。
 皮肉なことに帰京の日が最高の天気となった。
天候の回復をまって遭難者を捜索・救助にあたる県警のヘリの音が朝から忙しい。 朝食のあとは、上高地までゆっくり3時間で歩き、バスにのり、松本で軽く昼食をとって、あずさで帰京だ。

5/2 朝 最初で最後の全員写真8:50 ニリンソウ

9:59 上高地から穂高連峰


(追記)北アルプスの遭難では、立山の富士ノ折立(頂付近で遺体発見)で2名、蓮華岳(バックカントリスキーで転倒、滑落)、北穂高(雪の斜面で倒れていた)、奥穂高(滑落)で各1名が死亡、そのほか、剣岳で身動きのとれなくなって雪洞で一晩過ごした4人は無事救助されたほか富山県で2人、長野県で8人が救助されたと報告されている。

(感想)事前の天気予報では予測がつかないような荒天に見舞われ、登頂を断念、予備日を使っての下山だったが、春山の天候リスクを踏まえ、登山計画で、個人装備、共同装備など、冬山同様の準備をしたのと、日ごろから、安心・安全登山について訓練を積んだパーティの個々の経験と技術によって、また、幾多の修羅場を経験した冨田の経験が大きく、無事に下山できたことがなにより。
 携帯電話はまさかの時の連絡に非常に有用であるが、圏外になってしまっては心もとないことこの上なし。今回はいつもは帰りのチケットは乗車券のみを購入したのに、今回は下山時刻の余裕を見て指定席特急券を買ったのに、松本駅到着が1日遅れとなって、再度買いなおす愚を犯してしまった。(小野)


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